午前10時42分。
東京都心。
会社員の直樹は、
コンビニから出た瞬間に足を止めた。
「……なんだ、あれ」
誰かの声だった。
歩いていた人々が、
次々と空を見上げている。
直樹もつられて見上げた。
そして。
言葉を失った。
空に、
巨大な影が浮かんでいた。
黒い。
巨大すぎる。
飛行機じゃない。
ヘリでもない。
ドローンでもない。
雲より大きい。
なのに。
動いていない。
まるで、
空そのものが止まってしまったようだった。

「なんだ、あれ・・・」
笑うしかない
「映画の撮影か?」
サラリーマンが笑う。
「CGじゃね?」
学生がスマホを向ける。
「SNSやばいぞ」
あちこちでそんな声が聞こえる。
街は騒然としていた。
だが。
誰も逃げなかった。
なぜなら、
何も起きていなかったからだ。
午後になっても。
夜になっても。
翌日になっても。
巨大な影は、
ただ空に浮かんでいた。
攻撃もしない。
爆発もしない。
停電もしない。
だから人々は、日常へ戻っていった。
「そのうち政府が説明するだろ」
「本当に危険なら避難指示が出る」
「自分には関係ない」
直樹も同じだった。
その夜

会社帰り。
直樹は、
同僚の拓也と居酒屋にいた。
「なあ」
拓也が珍しく真面目な顔をしている。
「今回の件、嫌な感じがする」
「宇宙人?」
直樹が笑う。
「そんなわけないだろ」
拓也は首を振った。
「宇宙人かどうかはどうでもいい」
「問題は人間だ」
「人間?」
「もし何か起きたら、人はパニックになる」
直樹はビールを飲んだ。
「映画の見過ぎだって」
だが拓也は笑わなかった。
「停電したらどうする?」
「スマホあるし」
「通信が落ちたら?」
「まあ復旧するだろ」
「全国規模だったら?」
直樹は少し黙った。
「そんなこと起きないだろ」
「本当に?」
拓也はスマホを取り出した。
「俺は備えてる」
画面には、
小さなWiFi端末が映っていた。
「何それ」
「プレミアムチャージWiFi」
「月額なし」
「必要な時だけチャージして使う」
「災害用?」
「通信用だ」
拓也は真顔だった。
「最後に人を孤立させるのは、
食料不足じゃない」
「情報不足だ」
直樹は笑った。
「心配性だな」
だが。
その言葉は、
なぜか耳に残った。
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三日後
午前5時17分
スマホが震えた。
直樹は眠そうに画面を見る。
緊急速報。
『全国的な通信障害が発生しています』
「通信障害?」
寝ぼけながらSNSを開く。
読み込まない。
ニュースアプリ。
動かない。
動画サイト。
止まったまま。
「なんだこれ……」
再読み込み。
失敗。
再読み込み。
失敗。
再読み込み。
失敗。
その時。
直樹の顔から笑みが消えた。
電話をかける。
発信中。
無音。
切断。
もう一度。
切断。
もう一度。
切断。
「嘘だろ……」
急に胸が苦しくなった。
テレビをつける。
映らない。
Wi-Fiを見る。
沈黙。
スマホを見る。
沈黙。
世界が急に遠くなる。
直樹は窓へ駆け寄った。
東京の朝。
いつもなら動き始める街。
だが今日は違った。
道路に人が溢れている。
みんなスマホを見ている。
みんな立ち止まっている。
みんな同じ顔をしている。
不安。
混乱。
恐怖。
「まさか……」
直樹の脳裏に、
三日前の居酒屋が浮かんだ。
『通信が落ちたら?』
拓也の声。
『全国規模だったら?』
拓也の声。
『通信だけは確保しろ』
拓也の声。
直樹は慌てて電話帳を開いた。
母親。
繋がらない。
妹。
繋がらない。
会社。
繋がらない。
拓也。
繋がらない。
何度かけても。
何度かけても。
何度かけても。
繋がらない。
その時。
直樹は初めて気づいた。
自分は、
通信があることを前提に生きていた。
待ち合わせ。
買い物。
仕事。
家族との連絡。
全部だ。
そして今。
その土台が消えた。
背中を冷たい汗が流れる。
呼吸が浅くなる。
「どうする……」
「どうすればいい……」
スマホを握る手が震える。
だが。
街の混乱は、
まだ始まったばかりだった。
空には、
あの巨大な影が浮かんでいる。
まるで。
人類の反応を観察しているように。
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